映画「ミッシング」の考察まとめ

映画『ミッシング』は、主人公の石原さとみが演じる母親が行方不明になった6歳の娘を探し続ける姿を描いた作品です。
監督は吉田啓介氏で、2024年に公開されたこの映画は、その深いテーマ性と巧妙なストーリーテリングにより話題を呼びました。
本記事では、映画の中で描かれる感情の揺れや人間の心の葛藤に注目し、いくつかの考察を行います。

目次

考察① 感情の行き先がわからない絶望的な状況

映画『ミッシング』の大きなテーマは、娘の失踪による母親の心の動きにあります。
失踪した娘を探し続ける石原さとみの役どころは、絶望と希望の間で揺れ動く心情を繊細に表現しています。
失踪事件という最悪の状況に直面した母親は、警察やマスコミ、SNSなどで不確かな希望を感じながらも、その先に待ち受ける現実が変わらないことに苦しみます。
この感情の不安定さが、映画の重要な要素です。
母親の心は、どこにエネルギーを向ければ良いのか分からないまま続きます。
たとえば、誘拐や事故など、失踪の原因についての考えが浮かぶものの、それぞれに対する怒りや悲しみの対象を明確に定めることができません。
こうした感情の先が見えない状態は、母親を次第に追い詰めていきます。

考察② クレーマーの登場が示す感情のエネルギー

映画の中で何度も登場する「クレーマー」は、感情のエネルギーの向け方が非常に明確であることを象徴しています。
たとえば、ヤクルトが売り切れで腹を立てた人物や、肩がぶつかったことで他人に怒りをぶつける人物など、クレーマーたちはその怒りを直接相手にぶつけることができます。
彼らは感情の発散先を明確に持っており、ストレートに感情を向けることができるのです。
これに対して、石原さとみのキャラクターは違います。
娘を失った母親は、そのエネルギーをどこに向けるべきかが分からず、心が乱れ続けます。
娘がいなくなった状況において、怒りの先が不確かであることは、彼女の心をより一層混乱させ、最終的には精神的に壊れていく原因となります。
この映画が描く「心のエネルギーをどこに向ければ良いのか」というテーマは、非常に深いものがあります。

考察③ メディアと社会の反応

映画の中で、メディアや社会の反応がどのように描かれているかも注目すべき点です。
石原さとみの心の葛藤に対して、テレビ局などのメディアは視聴率を優先し、視聴者が興味を持つような話題に力を入れます。
たとえば、犯罪者の息子が暴露されるシーンや、奇異な出来事が取り上げられる場面では、視聴率が上がります。
視聴者が理解しやすく、反応しやすいテーマが選ばれることで、メディアは物語を商業的に成立させようとするのです。
これに対して、石原さとみの悲しみや苦しみがメディアで取り上げられることはありません。
彼女の痛みは深いものの、それが社会にどのように伝わるかは分からないのです。
メディアの反応と実際の心情のズレは、映画のテーマと深く関連しています。
この不一致は、現代社会における感情の扱い方、そしてそれに対する無関心を浮き彫りにしているといえるでしょう。

まとめ

映画『ミッシング』は、感情の行き先が分からない母親の苦しみを描きつつ、社会やメディアがどのように人々の感情に反応し、また無視していくのかを鋭く描いています。
失踪した娘を探し続ける母親の姿は、ただの感動的なストーリーにとどまらず、現代社会における感情のエネルギーやその向け方に関する深い問いかけをしています。
クレーマーたちが示す感情の明確さと、母親の心の迷いを対比させることで、映画は視覚的にも感情的にも強烈なインパクトを与えています。
この映画が提起するテーマは、単なる物語以上の意味を持っており、観る者に深い思索を促します。

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