新海誠監督の最新作「すずめの戸締り」は、震災とその影響をテーマにした深いメッセージを持った作品です。
本作では、災害がもたらす喪失感やそれを乗り越えていく過程が描かれており、その中に隠された細かな象徴や暗示が観る者に深い印象を与えます。
今回はその考察を3つの視点から掘り下げてみたいと思います。
考察① 災害のリアルな描写とその象徴性
映画全体を通じて最も印象的なのは、災害のリアルな描写とそれに伴う喪失感です。
特に、鈴芽が訪れる土砂災害の後の学校で見つけた廃墟のシーンでは、災害がもたらした破壊の象徴として、脱ぎ捨てられた上履きが映し出されます。
これは、災害が起きる前には当たり前だった日常が、いかに一瞬で失われるかを示唆しています。
学校に通い、友達と会話し、日々を送っていたはずの学生たちの生活が、一瞬で何もかも失われたことを強調しているのです。
また、鈴芽が東京上空に現れる巨大なミミズに乗り込むシーンでも、片方の靴が脱げ落ちる描写があります。
この靴の喪失は、鈴芽が操作の中で失うものを暗示しており、日常の中で大切にしていたものが失われることの象徴とも言えるでしょう。
靴が片方無くなることは、物理的な喪失だけでなく、心の中でも何か大切なものを失う感覚を観客に伝えています。
考察② 母の喪失と時間の経過
映画では鈴芽の母親の喪失が大きなテーマとなっており、特に幼少期に母からもらった黄色い椅子の描写が印象的です。
母からもらった椅子は、鈴芽にとっての大切な思い出であり、幸せの象徴ですが、その椅子の足が1本失われていることに気づいた時、鈴芽はそれをあまり深く考えません。
これは、震災から10年以上経過したことを象徴しているとも解釈できます。
記憶は時間と共に風化してしまうものですが、鈴芽にとって母との思い出は、永遠に心の中で色あせることなく残り続けるはずです。
しかし、椅子の足が失われるというシーンが、震災の傷跡と共に記憶も時間と共に薄れていくことを示唆しているように感じます。
鈴芽が成長していく中で、母親との思い出が次第に遠く感じられるようになることが描かれています。
考察③ 孤独と人とのつながり
「すずめの戸締り」では、鈴芽とおばさんとの関係が重要な軸となっており、家族のような関係性が描かれます。
おばさんは鈴芽を引き取って育てており、その愛情や心配りは本物ですが、時には鈴芽との関係で自分の過去の辛い気持ちを吐露するシーンもあります。
このような関係性は非常にリアルで、人間関係における負の感情や葛藤も描かれています。
特に、おばさんが鈴芽に対して「嫌いだった」と告げるシーンは、家族だからこそ、好きと嫌いという相反する感情が共存することを示しており、非常にリアルな人間ドラマとして観客に響きます。
また、映画の終盤では、おばさんが鈴芽を励ますシーンや、鈴芽が自分の力で前に進んでいく様子が描かれ、孤独を乗り越えて人とのつながりを大切にする姿勢が強調されています。
まとめ
映画「すずめの戸締り」は、震災という重いテーマを扱いながらも、リアルな感情の描写と細かな象徴を通じて、観客に深いメッセージを届けています。
災害の喪失感や時間の経過、そして人とのつながりがどれだけ大切であるかを再認識させられる作品でした。
鈴芽の成長と彼女を支える人々の絆を描いたこの映画は、ただの災害映画に留まらず、人間としての絆の力や命の大切さについても深く考えさせられるものです。